どうも!むらはるです。
お盆に母と合流し、おばあちゃんに会いに行きました。
おばあちゃん91歳。
まだ元気に喋っています。すごい!
うちは割とかたい家で(笑)、会社を辞めたとき、母はショックを受けていました。
会社に所属しない僕の生き方に、しばらくの間反対でした。
でも今は、僕の生き方に理解を寄せてくれています。
今回は、そんな彼女との過去の思い出を軽く振り返りながら、今の関係性を見つめて行きます。
成人した男の、子→母の想いという感覚で見てくださいませ。
うちの家族プロフィール
うちは2つ上の兄と2人兄弟です。
父は自営業、母は看護師で、共に真面目。だけどユーモアが好きです。
さすが関西人。
小さい頃はみんなでワイワイやっている普通の家族でしたが、僕が小学校5・6年生の頃、家庭内に、変化が起こり始めました。
両親の不仲です。
喧嘩が多くなり、やがて喋らなくなりました。
そして、いつの日か父は、うちに帰らなくなっていました。
経済的なサポートをしてくれた父
そういうわけで父は、家の世話をしませんでした。
でも、お金の面だけはしっかりしていました。
生活費をちゃんと入れてくれていたようです。(額面は不明)
おかげで生活に不自由はありませんでした。
大学にも通わせてもらいました。感謝感謝です。
父がいなくなったと気づいたタイミングが遅かった
父は、僕が中学校1年か2年のときに、家に帰らなくなりました。
「ん?お父さん家に帰って来ないぞ」
そう実感したのは大学生のときです。
決して大きな家に暮らしていたわけではありませんでした。
それなのに、父がいなくなったことに4・5年ほど気づきかせんでした。
父の家庭での存在感。笑
気づくのに時間が掛かったのはたぶん、父が段階を踏んでフェードアウトしていったからでしょうね。
「不仲になる→喋らなくなる→帰る頻度が減る」と。
徐々に関係が遠くなっていったから、気づかなかったんだと思います。
そういう意味では父はフェードアウトの達人です。笑
父が家から離れていく過程では、僕は学生でした。
朝から夕方まで学校にいました。
夜は夜で用事がありました。
塾に週に2回通っていて、塾がない日は勉強していました。
忙しかったので、家族のことはあまり気にしていなかったのかもしれません。
思春期だし。
母と兄と3人での生活
というわけで、うちはいつからか、母と兄での3人生活になっていました。
この時期、みんながそれぞれにバタバタしていました。
子供が中高生の頃の家庭ってそんなもんですよね?
母は仕事に行っているし、兄は高校生で部活とバイトをしていました。
3人生活の時、兄と母はそんなに仲が良くなかったように思います。
バイトが原因です。
うちは、大学生になるまでバイトNGでした。でも、兄は勝手にバイトをしていました。
そのことでよく争っていましたね。
でも、ドラマは2人で良く見ていたと思います。
ドラマナイス!
僕は学校やら塾やら勉強やらで、あまりリビングにいませんでした。
リビングにいたのは、ご飯の時と、ドラマのときくらいです。
『僕の生きる道』と『結婚しない男』と『野ブタ。をプロデュース』と『銭ゲバ』などなど。
面白かったです。
学校か塾か、自分の部屋か、たまにリビング。そんな生活でした。
こうやって振り返ると、結構すれ違いが多いんですよね~。悲しい。
兄が出ていった
兄は大学生2・3回生の頃、家を出ました。
家が嫌だったんでしょうね。笑
同じ伊丹市内で1人暮らしをしていました。
父から援助を受けて生活していたようです。(父どんだけ援助するねん!笑)
そんなわけで、母と兄での3人生活は、4・5年で幕を閉じました。
この時間、もっと堪能したかったなぁ。
母との2人生活
大学生のときは、母と2人生活でした。
この頃はわりと時間にゆとりがありました。家にいる時間がこれまでより長かったです。
なので、「この時期は家にいたなぁ」という感覚です。
振り返れば、家族の中で母と一緒にいる時間が最も長かったのは僕です。
母は僕たち子供を平等に扱ってくれました。
でも母は、兄よりも僕を可愛がってくれていました。
次男で甘えん坊だったので。笑
母はいつだって僕らを思いやってくれていました。文字通り愛情いっぱいです。
行動一つ一つに思いやりが感じられました。
とても幸せです。
「あぁ、あのときも僕を想ってくれていた」と、年に1・2回、思い耽る時があります。
そのときは当然、枕が濡れますね。笑
以上が過去の話です。
随分と前置きが長くなってしまいました。笑
僕の今の生き方
僕は今、会社員の時よりも収入が低いです。
なので、家族以外の親戚の人はこう言います。
「ほれ見たことか」
母も会社を辞めた当時は同じ見方でした。
「会社に勤め、そこでの仕事を全うして欲しい」と。
家で仕事するって感覚が不自然なんでしょうね。
なので、「会社に行っていない=仕事していない」と感じるようです。
会社にいた頃より一生懸命仕事してるんですけどね。笑
社会人になって、「生きていくとはどういうことか」、「人生とは何か」を考えました。
そして閃きました。「自分の思う通りにやろう」と。
人生で起こることは全て自分の責任です。頑張らないとね。
やがて僕は家を出て、会社を辞めました。
母の葛藤
僕が生き方の方向転換をしたあと、母はずいぶんと葛藤したようです。
当時は随分ヤイヤイ言われました。
でも、今では僕の生き方に理解を示してくれています。
「ただあんたが元気やったらそれで良い」と。
愛情うぅ・・・。
会うたびに感じる思いやり
母にとって、今でも僕は子供です。(実態はおっさんなのですが。笑)
会うたびに気遣いを見せてくれます。
この前のお盆には、お土産を用意してくれ、スタバをご馳走してくれ(バニラフラペチーノ)、映画に連れて行ってくれました(オーシャンズ8)。
こういう風に書くとただのヒモと世話役のようですね。笑
でもそうじゃないんです。僕のことを気遣ってくれていました。
その様子は昔と変わりません。
その日の夜は過去のことを思い出す夜でした。
母はこれからどういう生き方をするのか
時代は常に変化しています。
母はまだもうちょっと”おつとめ”するようです。
でも、今の貯金と年金でお金が足るんかしら?という不安があるようです。
母は母の目線で世界を見て、物事を判断していきます。
そんな彼女をずっと応援します。
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