アメリカンオプティカル社のメガネ・サングラスの歴史を徹底解説

アメリカンオプティカル社のメガネ・サングラスの歴史を徹底解説

こんにちは、サイト管理人のむらはるです。

アメリカンオプティカル(American Optical)の歴史を解説します。

アメリカンオプティカルは、しっかりした作りで、アメリカ軍に納品した信頼あるメーカーです。

歴史を知れば、なぜ今も語り継がれるメーカーなのか、理解できるかもしれません。

 

メガネの製造はヨーロッパから始まった

アメリカでメガネの製造が始まる前、ヨーロッパからフレームやレンズを輸入していました。

19世紀のはじめにメガネ産業が生まれたとき、フランス・ドイツ・イングランドから部材を輸入していました。

荷物を運ぶコンテナ―船。貿易のイメージ図
荷物を運ぶコンテナ―船。貿易のイメージ図

AOEYEWEARより画像拝借

メガネ…と言っても当時のものかなり粗悪な作りです。

当時のメガネフレームは全て金属素材で、地元のジュエリー職人が、加工しました。

 

アメリカンオプティカル社の誕生

アメリカンオプティカルは、1826年に誕生しました。

コネチカット州の農家の子であったウィリアム・ビーチャー (William Beecher) が創業者です。

 

ウィリアム・ビーチャーについて

ウィリアム・ビーチャーは、ロードアイランド州 (Rhode Island)  でジュエリー貿易を7年間学びました。

ほぼ未加工のメガネを輸入する仕事に携わりますが、入ってくるのは低品質なものばかり。

「自分ならもっと良いものを作れる」と、起業しました。

これがアメリカンオプティカル誕生のきっかけです。

彼はサウスブリッジ (Southbridge) へと移り、1833年。会社をおこしました。

 

1900年前後「メガネ需要の拡大」

産業革命の時代のパリの風景の1シーンです
産業革命の時代のパリの風景の1シーンです

18世紀の半ばに入り、急激な時代の転換期、産業革命を迎えます。

時流に合わせ、会社は急成長し、メガネの輸出ビジネスは拡大しました。

マサチューセッチュには従業員が2,000人おり、1905年、ロンドンにオフィスを構えました。

給料も高かったとのことです。

 

メタルフレームが人気

ゴールドやシルバーの高価なメタルフレームは、需要があり、年間60万個以上製造するようになりました。

その30年前は3万個で、30年間で20倍も製造量が増えました。

メタルフレームが大量に流通しているイメージ図
メタルフレームが大量に流通しているイメージ図

 

1917-1946「戦争需要」

1917年、ヨーロッパで第一次世界大戦が始まった年に、メガネ製造工場を8つも追加しました。

戦争需要に伴い、アメリカ軍や同盟国軍をサポートするための工場です。

工場にはフレームやレンズを作るのに必要な設備が整えられ、「アメリカ勝利」のためにたくさんメガネを製造しました。

第一次世界大戦初期は陸上戦争でした。 ※この画像はイメージです
第一次世界大戦初期は陸上戦争でした。 ※この画像はイメージです

第一次世界大戦中、250万個ものメガネがアメリカ政府に供給されたとのこと。

「Liberty」と「Victory」が人気でした。

 

第二次世界大戦でも大活躍

アメリカンオプティカルのメガネは第二次世界大戦 (WWⅡ)でも大活躍。

改良を重ねた新しいメガネに加え、下記の軍事用品を納品しました。

WW2で納品した商品(一部です)

  • 銃の照準器
  • 爆撃照準器
  • ARグラス
  • 航空用ゴーグル
  • その他サングラスや精密工学部品

1943年から1944年の間、合計で

  • 1000万本のゴーグルフレーム
  • 500万本のサングラス
  • 650万個を超えるレンズ(内140万個は処方用)

が軍に支給されました。すごい数です。

 

サングラスの始まりは1876年

現在のサングラスのベースは、1876年にアメリカンオプティカルによって作られました。

「日除け」としてUVカット機能のない、ブルー・スモーク・ピンク・アンバー(鼈甲)の4色のレンズが採用されました。

 

1913年「UVカットの登場」

1913年、アメリカンオプティカル社は、世界で初めてUVカットレンズを搭載したクルックスメガネの権利を確保しました。

クルックスメガネは、著名なイギリスの科学者サー・ウィリアム・クルックスによって発明された特殊なメガネ。中でも、クリアーレンズとUVカットタイプが人気でした。

 

軍用のアビエーターゴーグル

サングラスつながりの話です。

1930年代前半、空軍「Type B-6」とその後継版の「Type B-7」のアビエーターゴーグルを供給。それらにはグリーン・アンバー・スモークグレーなどサングラスレンズが搭載されました。

AOパイロットサングラス
AOパイロットサングラス

 

1940年「偏光レンズの登場」

アメリカンオプティカル社は、1940年に偏光レンズを市場に出しました。

水辺・雪・太陽のギラギラした反射光を遮るのに役立ち、1980年代半ば以降、一般人向けに普及しました。

海上や冬のスポーツ活動でも視界が遮られない偏光メガネは便利です。

 

パイロット向けサングラスの原型は1958年に完成した

いまの「オリジナルパイロットサングラス」として知られる「Flight Goggle 58」は、1958年にアメリカ軍向けに生産が始まりました。

Flight Goggle 58は機能性と快適さ、最大限の保護機能があり、現在でも、マサチューセッツのサウスブリッジにあるAO施設で製造されています。

 

アポロ11号のクルーがつけた「オリジナルパイロットサングラス」

オリジナルパイロットサングラスは、1969年にアポロ11号のクルーだったコマンダ・ニール・アームストロング船長が装着。「初めて月面着陸したサングラス」として有名です。

そのメガネは、ワシントンD.C.にある国立航空博物館に展示されています。

 

広がり続けるデザイン

アメリカンオプティカル社は常に、メガネやサングラスの流行の仕掛け人でした。

有名人も愛用しています。

たとえば「AO Sunvogue sunglasses」は、1969年の映画『Easy Rider』でデニス・ホッパー がクールにつけていました。

映画『トップガン』ではトム・クルーズが、アビエーターシェイプのメガネを格好良くつけました。

 

アメリカンオプティカルのメガネやサングラスコレクションは、今でも広がりを見せています。

 

アメリカンオプティカル社の思いはいつまで経っても変わりません

ファッション産業において、メガネの流行は行ったり来たり。アメリカンオプティカル社は、メガネやサングラスの定番品をつくり、流行が過ぎても流行であり続けます。

会社がスタートしたときに掲げたコミット「高品質な製品の価値を守り続け、イノベーションし、時の試練に耐えメガネを磨く」の気持ちを、いつまでも持ち続けます。